古事記研究 【27】
第4章 水をも操る山幸彦 | ||
24.海幸彦・山幸彦兄弟による道具の交換 | 26.兄の服従 | |
25.釣り針探し | 27.神倭伊波礼毘古の命の誕生 | |
目次| 第1章| 第2章| 第3章| 第4章| ◆古事記「上つ巻」に登場する神々(五十音順) |
第4章 水をも操る山幸彦
27.神倭伊波礼毘古の命の誕生
ところで、海の神の娘の豊玉毘売は、自ら綿津見の神の宮殿を出て、火遠理の命のところにやって来て、「私は既に身ごもっています。今、産む時が近づいていますが、天つ神の子供を海で生むわけには参りませんので、父の宮を出てこうしてやって来ました。」と火遠理の命に言われました。
そして、すぐに海辺の波打ち際に鵜の羽を屋根にして産屋を造りました。しかし、その産屋の屋根がまだ葺き終わらない内に、急に産気づき耐えられずにその産屋に入りました。豊玉毘売は、いよいよお生みになられるという時、夫の日の御子の火遠理の命に「他の国から来て子供を産む時は、自分の国の習慣に従って生むものです。ですから私も私の国の本来の姿で生もうと思います。どうかお願いですから、出産する私の姿を見ないでください」とお願いされました。
見るなと言われると見たくなるもので、火遠理の命は、不思議に思っていよいよ出産というその時にそっと産屋の中をのぞき見されると、すると豊玉毘売は、大きな八尋の鮫に変身して腹這いになり身をくねらせていました。火遠理の命は、それを見て驚き恐れて、その場から逃げられました。
豊玉毘売の命は、夫が自分の姿をのぞき見したことを知って、とても恥ずかしいと思われて、その御子を生むと「私はずっと海の道を通って、この国に通おうと思っておりました。しかし、私の姿をのぞき見されたことは、大変恥ずかしいことでございます」と言って、すぐに海の境を塞いで海の中は帰って行かれました。
そこで、生まれた御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへず)の命といいます。
この後、豊玉毘売はのぞき見されたことをお恨みになったけれど、夫を恋しく思う心に耐えられず、その御子をご養育するために妹の玉依毘売(たまよりびめ)を遣わし、火遠理の命に歌を献上し、また火遠理の命も歌をお返しになられました。こうして、日子穂々手見の命(火遠理の命、山幸彦)は、高千穂の宮におられた期間は五百八十年に及びました。御陵(おはか)は、高千穂の山の西にあります。
この鵜葺草葺不合の命は、その叔母の玉依毘売の命を妻にされ、その間にお生まれになった御子の名前は、五瀬の命、稲泳の命、御毛沼の命、そして若御毛沼の命、またの名は豊御毛沼の命、またの名は、神倭伊波礼毘古の命です。そして御毛沼の命は、波の穂を踏んで常世の国にお渡りになりました。また稲泳の命は、亡き母の国の海原にお入りになりました。
◆神倭伊波礼毘古の命の誕生に登場する神
・豊玉毘売(とよたまびめ) ・火遠理(ほおり)の命 ・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命 (あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへず) ・日子穂々手見(ひこほほでみ)の命 |
<綿津見の神の娘、火遠理の命の子を生む> <山幸彦(山佐知毘古)> <火遠理の命と豊玉毘売の子の神> |
◇鵜葺草葺不合の命と玉依毘売の命の子の神
・五瀬(いつせ)の命 ・稲泳(いなひ)の命 ・御毛沼(みけぬ)の命 ・若御毛沼(わかみけぬ)の命 |
神倭伊波礼毘古(かむやまといはれびこ)の命 ] |
【追:こうして、大国主の神を中心とする「国つ神」の一族も、海を支配した「海人(あま)」の一族の勢力も、「天つ神」の支配下に統一されました。】
【追:神倭伊波礼毘古の命は、日本の初代天皇の神武天皇のことです。】
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